2007年04月22日

校歌2

古い校歌を調べたところ、昔は4番まであったようです。3番4番がカットされた理由がわかりますね。

青森縣西津軽郡木造町 向陽尋常高等小学校

1 偉容(すがた)けだかき 岩城嶺(いわきね)を
  軒端(のきば)に近く 仰ぎつつ
  瑞穂ゆたけき 千町田(ちまちだ)を
  外面(そとも)に遠く 見る所

2 八千代(やちよ)かれせぬ 菊の池の
  清き流の すえ受けて
  向う朝陽(あさひ)を 学校(まなびや)の
  名に負いたるぞ 我が誇

3 天皇(すめらみこと)の 大詔勅(おほみのり)
  戴きもちて 月に日に
  心をみがき 身を鍛え
  君のみために 生い立たむ

4 学びの窓の 校訓(みをしへ)を
  つとめ守りて 朝夕に
  たゆまず学び よく遊び
  皇國(みくに)のために 伸び行かむ
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2007年04月19日

校歌

向陽小学校 校歌
制定 昭和8年7月23日
作詞 弥富破摩雄
作曲 小松 耕輔
  
1 偉容(すがた)けだかき 岩城(いわき)嶺(ね)を
  軒端(のきば)に近く 仰ぎつつ
  瑞穂(みずほ)ゆたけき 千町田(ちまちだ)を
  外面(そとも)に遠く 見る所

2 八千代(やちよ)かれせぬ 菊の池の
  清き流(ながれ)の すえ受けて
  向(むか)う朝陽(あさひ)を 学校(まなびや)の
  名に負(お)いたるぞ 我が誇(ほこり)
校歌楽譜1.jpg

2007年04月15日

学区の概要

平成17年2月11日、木造町は周辺4町村(柏村・森田村・稲垣村・車力村)と合併し、つがる市となった。
つがる市は、本県の北西部に位置し、東は岩木川を境に、五所川原市、中泊町と接し、西は日本海に面し、南は弘前市、鶴田町、鰺ヶ沢町と接し、北は十三湖に面している。
木造地区では、日本海に沿って南北に延びる屏風山の砂丘及び湖沼地帯が植林地帯及び畑作地帯になっている。

 江戸時代初期以来、津軽歴代の藩主が津軽平野北西部の新田開発に力を注ぎ、木作、金木、俵元の三新田を開いた。その後、開発事業の拠点として、奉行所を木作に設け、現校舎近くに仮館を建設した。明治4年頃、現在の木造という地名に改められた。
昭和30年3月、木造町、川除村、出精村、館岡村、越水村、柴田村及び鳴沢村出来島集落の1町5村1集落が合併して新たに木造町として発足し、現在に至っている。

向陽小学校学区は、木造地区の南東に位置する旧木造町大字木造及び旧柴田村の一部の集落を持って形成している。本学区は市の行政、経済、文化教育の中心地である。特に本校付近には、県立木造高等学校、市立木造中学校、木造中央公民館等の教育文化施設がまとまっていて学園地区になっている。
地域活性化のため、多方面からの努力が重ねられているが、若年層の流出に伴い、人口の減少、老齢化社会への傾向を見せている。若年層の流出、少子化の傾向等により、小・中学校の在籍数も年々減少傾向にある。これは、地域の活性化を含めて見逃すことができない状況である。
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校地・校舎

kyuukousha.jpg・所在地
 青森県つがる市木造日向62番地1号(本校は、旧木造町内の東側に位置している。昭和46年10月6日の新校舎完成に伴い、字千歳28番地の旧校舎から現在地に移転)

・面 積
 建物敷地11,034u 校舎4,765u 体育館1,011u
(昭和45年9月23日着工、昭和46年10月6日竣工)
運 動 場 21,927u
・校舎周辺の状況
校舎は敷地の南西側にあり、東側に屋外運動場がある。校舎の周りと屋外運動場に遊具を設置している。
@南 庭
校舎の南側に遊具を設置し、低学年の児童が活動しやすいようにしている。
A中 庭
A棟とC棟の間に、校章花壇、藤棚を配置し、またA棟と体育館の間にロープ(くもの巣ネット)を、体育館の東側に土俵を設置している。
B屋外運動場
屋外運動場の南西の一角(校舎の東)にスロープを設置し、冬期間の体育に活用している。屋外運動場の大部分は野球、ソフトボールのグラウンド及びトラックとして体育の授業時間等に活用している。
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校旗と校章

 最初の校旗は、本校同窓会が寄贈し、明治42年9月7日に樹立された。その意匠は、木造町を象徴する松と銀杏に、菊池初代校長に因んで、菊の花を配してまとめ上げたものである。本校はこの校旗を爾来、学校の名誉を代表するものとして、教育に役立ててきた。
現在使用している校旗は、本校創立100周年祭(昭和47年11月20日)を記念してPTA婦人部が寄贈したものである。そのデザインに松、銀杏、菊を配し、さらに校章もいれてある。
校旗と校章は深い関係があるのが普通で、大抵は校旗の意匠に校章が取り入れられているものが多い。
しかし、本校の最初の校旗に校章がないのは、校旗樹立当時の木造尋常小学校には、校旗が決められていなかったものと思われる。
現在使用されている校章は、本校の卒業生の誰でも愛着を感じているが、向陽の名にふさわしいものである。太陽のこうこうと輝く姿を、中心の円から12本の光芒の発する形を横長の菱形でまとめたもので、それに校名の「向」を配して完成させている。
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校名の由来

kouyoukan.jpg 確実な記録も文書も残存していないが、語り伝えられてきた所によると、現在の銀杏ヶ丘公園内に、文化9年(1812年藩主津軽藩主9代寧親がお仮屋の居間に、時の幕府の江戸幕府の老中松平定信(白河楽翁)筆「向陽館」(寧親公の雅号)という額を掲げた。(現在、校長室に飾ってあります)
 代々の津軽藩主が木造を中心に異常な努力を傾注され、広大な新田開発に次第に成功されたように、向陽高等小学校もここを根拠に新田地方一帯の青少年に、村々の振興開発に資しようという藩主にあやかって「向陽館」に因んで校名に取り入れたということである。(向陽小学校90年誌より抜粋)
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2007年04月11日

向陽小学校誕生

明治6年
7月23日
慶応寺私塾「時習学舎」を「木造小学」と改称、創立
明治9年
現つがる警察署付近に新校舎を新築
明治14年
小学校令改正により「木造尋常小学校」と改称
明治17年
7月4日
「組合立向陽高等小学校」設立
(木造、出精、柴田、川除、館岡、越水、柏、水元、森田、稲垣、車力、十三の12ヶ村)
明治28年
「字荻野6の11」に校舎移転
明治34年
12月6日
「字千年28」新校舎落成(同年「木造町」になる)
明治42年
9月7日
同窓会寄贈の校旗樹立
明治43年
4月1日
組合立向陽高等小学校廃止。高等科を併置して「向陽」高等尋常小学校と改称し、新たに発足する。

大正11年
11月23日
創立50周年式典挙行

昭和16年
4月1日
国民学校令により「向陽国民学校」と改称。
向陽国民学校児童保護者会結成(初代会長に川嶋豊蔵氏就任)
昭和22年
4月1日
学制改革(六三制)により「向陽小学校」と改称
5月16日
向陽小学校父兄会設立(初代会長に川嶋豊蔵氏就任)
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